
縁あって某欧州の企業から付与されていたストックオプションを行使し、宝くじに当選するがごとくセミリタイヤを果たしたのは、今から4年前の2015年です。
しかしこの記事ではあえて、成功談ではない、悲惨な体験を綴ってみようと思います。
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シンガポール法人が破綻
実は、つい最近、シンガポールの現地パートナー(資本関係はないけど、僕の会社のシンガポール現地法人という位置づけの会社)がついに破綻したのです。
僕は最初、シンガポールの法人を使って事業をしていた
少し時間を遡る必要があるのですが、僕が会社を設立したのは、リーマンショックの直前である2008年の4月中旬です。
起業前の2007年から1年間は、バンコクのWallstreetという英語学校で、1年間のEDビザを取得して語学留学をしていました。
当時は上述の通り、まだ僕自身の会社がありませんでした。
そのため、僕の父は、このシンガポール法人(B社)のスウェーデン人と一緒に共同経営者として、コンサルの会社をやっていました。(ただし父の本業はB社とは全く関係のない大企業の役員です)
つまり、前述の通りB社は僕の会社とは直接的な資本関係はありませんが、B社の株の30%を父が押さえているという意味で、間接的には関わりがあるということです。
さて、大学院まで出たのに就職もせずに(正確には就職できずに)バンコクで語学留学という名の遊学をしていた僕は、この時点では、留学が終わったらB社に就職することが約束されていました。
つぶれたシンガポールB社の概要
今回潰れたシンガポールのB社の株主構成は、当時、スウェーデン人のマネージング・パートナー(社長)50%、父(共同経営者)30%、そして大陸在住の中国人パートナー20%です。
僕の父はこの会社の社長ではなく、序列的には二番目。B社の日本事務所の代表という立場でした。
そして2008年4月に僕も最終帰国を果たし、法人を設立。これが現在の僕のコンサルティング会社です。
創業当初、コンサル業務はすべてシンガポールのB社から業務委託してもらっていました。
これはB社がつぶれたら僕の会社の経営も傾くことを意味しています。
しかしそれゆえに、僕は自力での集客を目指してWEBの学校に通い始める動機となります。
B社の凋落と同時に自社の飛躍が始まる
その後、2008年9月にリーマンショックが発生。
あれだけのインパクトのある出来事だったのでコンサルティング業務は激減、シンガポールのB社は一気に経営が危なくなりました。
自社のコンサルティング業務の集客サイトを自力で作るためです。
そして翌年にはコースを修了し、直ちに自分のコンサル会社のWEBサイトを立ち上げ、独自集客を開始。
その同年、シンガポールのB社では新たな出来事がありました。
筆頭株主で父とともに共同経営者だったスウェーデン人の大株主が、株式を別の人に売却して再び他社のサラリーマンに逆戻りしてしまったのです。
不幸なのは、株を買ったことで新たに大株主のCEOになったオーストラリア人のA氏が、お世辞にも有能ではなかったことです。
これが原因でB社の没落にさらに拍車をかけてしまうことになりました。
集客ルートさえ押さえれば自立できる
しかし2年後の2011年には、WEBの学校に通った甲斐もあり、シンガポールのB社がなくても、自社でWEBから仕事を受注できるようになっていきました。
それからは、B社と僕の会社の上下関係もついに逆転。
僕の会社が受注し、海外業務の一部をB社に委託するという立ち位置になりました。
B社との関係は一気に希薄化
しかも、僕がWEBで集客できるようになった仕事は、上記のB社に委託する必要もない案件だったり、そもそも日本国内で完結する仕事だったり、商圏が中国やインドとかで、B社が押さえていない地域の仕事だったりもするわけです。
それに最初に書いた通り、現オーナーはあまり有能ではないオーストラリア人。下手に仕事をやらせたら、自社の評判すら落としかねません。なにせ依頼してくる会社は2012年頃には東証一部の大企業ばかりでしたから。
というわけで、まだB社の株主である父も合意の下で、もうB社には仕事を与えないようになったわけです。
この時点で父も自分のシンガポールの株式持分が将来紙切れになることは分かっていたはずです。
オーストラリア人社長、倒れる
それから数年間、B社社長とは連絡もあまりとらなくなりました。
そして先月、久しぶりにそのオーストラリア人の社長から父にメールが届いたのでした。
しばらく音沙汰がなかったのは、仕事がないからだけではなく、病気のことがあったからだったのでした。
こう言い残し、連絡はプッツン。
今のところ会社閉鎖は保留
これで父が出資した株式は紙屑となり、しかも会社閉鎖というお仕事まで託されてしまったわけです。
僕は性格が悪いので、最初はこの社長の病気の話すら疑わしいと思いましたが(要は金をもって夜逃げされたと思ったわけです)、後々に出てきた事実などから、嘘ではなさそうだと分かりました。
と言うわけで、現時点では、まだ会社はそのままですが、父ともう一人の上海在住の中国大陸人の株主で今後のことについて検討中です。
僕は正直、もうノータッチでいいと思います。
会社を潰すのもいい経験です
父はITバブルの時に一度起業して失敗し、このB社への出資もこういう結末になったので、20年弱の間に2つの会社を潰したことになりますね。
でも成功した起業家でさえ、過去に一つや二つの会社を潰したという例はいくつもあります。
「金持ち父さん、貧乏父さん」の著者であるロバートキヨサキ氏も20代の頃に立ち上げて大成功したナイロンとベルクロの財布の会社を廃業し、その後もいくつかのビジネスに失敗しています。
特に「こうするとダメ」というような事例はこのシンガポールの会社を通してかなり勉強させてもらいました。(ITバブルの時に潰れた会社については、当時僕は子供だったので最近になるまで知りませんでした)
これまでブログに「お前は親のすねかじりだ」とか、「お前は親の金を使って投資をしているから大したことないニート」とか的外れなコメントを7,8年ずっと投稿し続けている暇な人がいます。
でも、富と言うのは別に一代で築けるとは限らないし、親の失敗や成功を踏み台にして自分が大きくなるのって、何か問題ありますか?
シンガポールに行ってきました
こうしてB社はお陀仏となったわけですが、実は僕、昨年末、3泊でシンガポールに出張に行ってきました。
新しい下請けとの初対面
それは、3年くらい前からB社の代わりに僕の会社の下請けとなっているO社の社長と今後について打ち合わせをするためです。
このO社の社長はインド系シンガポール人で、商才はかなりありますね。
実は、O社の社長を紹介してくれた人というのは、一番最初に書いたB社の創業者であるスウェーデン人です。
このスウェーデン人は優秀で、この人が会社を去ってからB社の凋落が始まったくらいです。
それを申し訳なく思ったからか、今のインド系シンガポール人のパートナーを紹介してくれたわけです。
O社社長とはまだスカイプやメールでしか話したことはありませんでしたが、この3年間でいくつも仕事を受けてくれ、成功実績もあるので、ここで実際に会って関係を構築しようと判断しました。
そういうわけで来週は僕の誕生日と重なってしまいますが、1年ぶりのシンガポールに行ってきた次第です。
以下がシンガポール出張時に書いたブログ記事です。