
先日から僕がタイランドエリート会員になる前、どんなことをしていたかということで、僕の経歴紹介のような形で過去の訪タイ歴をブログで振り返ってみました。
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大学卒業後はどうやってタイに残ったか
前回は、僕が初めてタイに来た時のこと(主に学生時代)のことについて書きました。
では、僕が大学(大学院)を卒業後はどうしたのかというと、実は、卒業と同時にタイに再びやって来て、約1年間の英語留学をバンコクでしていました。
余談ですが、下記リンクが僕がその時に住んでいたコンドミニアムです。
「タイで英語留学」と聞いて耳を疑った方もいるかもしれませんが、2007年当時、タイで英語留学がものすごく流行っていた時期があったのです。
最近だとセブ島で英語留学をする人もいますよね?以前はその舞台としてタイを選ぶ人も多かったのです。
理由は、別に英語を上達させたいからというよりは、単純にタイに1年間留学ビザ(EDビザ)で滞在できるからです。いわば留学生という肩書を持った外こもりです。
もちろん中には本当に英語を(安い授業料で)勉強したいという理由で来ていた人もいますが、大半の方は僕のようにバカンスを兼ねた留学でした。
ウォールストリート・インスティテュートでEDビザ
上述の通り、タイ語学校だけでなく、英語学校でも最大1年間のEDビザを発給してくれる学校もバンコクには存在します。
では僕がどの英語学校を選んだかというと、今でもある程度の知名度のあるウォールストリート・インスティテュートという英語学校です。
Wallstreetはタイで超人気の英語学校だった
日本語フリーペーパーのWISEを読んでいる方なら、毎週のように紹介されているので学校の名前くらいはご存知の方も多いと思います。
今でこそ昔のような勢いはありませんが、僕が在籍していた2007年当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで、タイでは圧倒的な存在感を誇っていた英語学校です。
Wallstreetには日本人のスタッフもいますし、日本語でも大々的に「温暖で物価の安いタイで英語留学」というキャッチフレーズで宣伝していました。
ウォールストリートとは?
その前にウォールストリートとはどんな英語学校なのかを説明する必要があります。
なぜなら、普通の英語学校とはだいぶ趣が異なるからです。
ウォールストリートの料金体系
通常の学校ですと、授業料が1レッスン当たり○○バーツ、あるいはレッスンで○○バーツという具合に、レッスンの数で授業料が決まります。
ところがウォールストリートは、1レベル単位で価格が決まるのです。
たとえばレベルが18段階あったとして(上が18、下が1)、僕は6レベルを「購入」しました。
入学前のテストによるレベル判定の結果、僕のレベルは10ということになりました。つまり、6レベルということは、レベル10~15まで勉強できるということです。
そして1レベルの有効期限は3か月です。6レベルあれば、ウォールストリートで18か月間勉強できることになります。
でももちろん、EDビザが切れた後も一度タイを出国して観光ビザなどに切り替えることで18か月間ギリギリ勉強することは可能です。
レベルの進み方
さらに細かいことを書きます。では、その1レベルというのは、どのくらいのレッスン数なのかというと、4レッスンになります
。
でもウォールストリートでは、レッスンというのは簡単に予約できるものではないのです。
どういうことかというと、ある程度自習をしたうえでないと、ようやくレッスンを予約できるステータスを得ることが出来るのです。
そのレッスンのことを「エンカウンタークラス」と言います。
ラボラトリーで自習
僕の場合、レベル10からスタートしたので、レベル10の教科書というものが配られます。
このテキストを持って、学校の校舎の奥にあるラボラトリー(パソコンルーム)に入ります。
そこでパソコンにログインすると、自分のレベルにあった内容の「ウォールストリート独自のドラマのストーリー」が始まります。
もちろん文法や単語は持っているテキストに沿っています。
そこでドラマを一度最後まで聴き取り、内容に関する設問に答えたり、発音を真似したりしてコンピューターから「合格」をもらいます。
ラボラトリーのパソコンから流れるストーリーをクリアした後は、持っているテキストを自分で予習し、設問に答えます。
先生とのレッスン
つまりラボとテキストの両方をクリアして、初めて1回のレッスン(エンカウンタークラス)を予約できるわけです。
エンカウンタークラスの担当をするのはネイティブの英語の先生です。ようやくここで先生が登場するわけです。経営の観点からいうと、学校側は人件費を極力削っているわけですね。
エンカウンタークラスでは、上述のラボラトリーでのストーリーや、テキストに出てきた文法や語法、ボキャブラリー、フレーズのチェックを先生からされます。
教える授業ではなく、進捗具合のテストというわけですね。レッスンは普通の英語学校と同じで1時間弱。
成果が芳しくなかった生徒は、「ダメ出し」を食らいます。つまり、もう一度ストーリーの最初に戻ってラボラトリーで勉強しなおしたうえで、再度同じ内容のエンカウンタークラスを予約しろということです。
よって、クリアしない限りは、同じレベルを何回もやらされます。
ポジティブな言い方をすれば、ちゃんと身に着くまで同料金でレッスンを何回も受講できるということになります。
最初に生徒はレベルごとに授業料を払うと書きましたが、進捗しなければ授業料を余分に払う必要がないので、レベル当たりの有効期限さえ守れば、英語が本当に身に着くまで同じ料金で学校に通えると考えるとよいと思います。
自慢をするつもりは全くありませんが、僕はエンカウンタークラスで先生に落とされたことは一度もありません(笑)
4回のエンカウンタークラスで1レベルアップ
ここが重要なのですが、1つの「レベル」を上げるためには、4回のエンカウンタークラスを突破する必要があります。
先ほど書いたラボラトリーやテキストでの自習、そして先生との授業というサイクルを、4回こなすと、1レベルアップするのです。
僕の場合は6レベルを購入したので、6×4=24回のエンカウンタークラスをクリアすれば卒業ということになります。
僕は当時学生でも社会人でもなかったのでウォールストリートには毎日、しかも一日中通いましたが、1年間通ってようやく全レベルをクリア出来たくらい、内容的には充実したものでした。
Wallstreetスクンビット校に在籍
このウォールストリート。校舎は複数ありますが、バンコクの主要なショッピングセンターなど、かなりの好立地にあります。
現在ではセントラルワールド校が日本人生徒の受け皿となる主要な校舎ですが、僕が在籍していた当時はスクンビット校(ジャスミンシティービル)でした。
友達が出来るウォールストリート
僕がウォールストリートに通うことを決めたのは、英語が勉強したかったからではありません。
理由は以下のような感じです。
- 英語を話すタイ人の友達が出来る
- 英語も勉強できる
- 1年間のビザが取れる(タイ長期滞在が出来る)
- 大学院を卒業してから1年間遊びたかった(笑)
当時タイ語が全くできなかった自分には英語を話してくれるタイ人が、タイでの生活についていろいろと助けてくれたのはすごくありがたかったです。その人たちとは今でも付き合いがあります。
生徒は金持ちや有名人ばかり
ウォールストリートはそのブランド力・高級感をかなり押し出した英語学校だったので、タイの金持ちの子弟や、芸能人が多く通っていました。
僕がウォールストリートで友達になったタイ人学生も、やはりチュラロンコン大学の秀才や、アサンプション大学のボンボンばかりでした。
学生以外だと、パイロットだったり、獣医、医師、外資系企業でバリバリ働いているビジネスマンなど、僕に言わせればまぶし過ぎる人たちでした(笑)
ある時は、バンコク大学の学生のタイ人の友達がランボルギーニで僕を学校に連れて行ってくれ、放課後、イタリアンの有名チェーン店で食事をご馳走してくれたのですが、後になって分かったのですが、なんと彼のお父さんがそのチェーン店のオーナーでした。
女の子はみんな可愛い子ばかりでしたので、20代くらいの若い日本人留学生の多くは学校で彼女を作っていました。逆にどこかの御曹司に見初められる日本人女性もいましたけどね。
先ほどはラボラトリーでの勉強のことを書きましたが、ラボラトリーの外はソーシャルエリアで、誰もが交流できる場だったからです。
変な言い方をすると、ここで公然とナンパをしているタイ人(または外国人)もいたわけです。
極端な話をすると、これは実話ですが、20代半ばの日本人の留学生で、当時ウォールストリートに通っていたシーナカリンウィロート大学の女子大生と結婚した方、また、同じく30歳くらいの日本人男性で、ウォールストリートのスタッフと結婚した方もいます。
後者の方は非常に賢い投資家で、僕に投資を教えてくれた方でもあります。今の僕の不労所得生活があるのは彼のおかげと言っても過言ではないくらいです。
日本人もたくさん通っていたウォールストリート
もちろん、ウォールストリートには多くの日本人も在籍していました。
どんな人たちが通っていたかというと、僕みたいに留学ビザを取ってタイに来ていた若い留学生(遊学生)や、駐在員、駐在員の奥様などです。
駐在員、駐在奥様
駐在員の方は週末しか時間がないので、学校に来た時は真面目にずっと勉強していました。
駐在員の若い奥様達は、奥様同士で毎日平日は校内でずっと暇つぶしをしていたので、僕とも仲良しになり、一緒に日本語で世間話を楽しんでいました。(本当は校内は英語以外禁止なのですが、そこはタイ人生徒も守っていなかったので。)
当時は僕もまだ若い貧乏日本人生徒だったので、駐在の奥様方には、美味しい日本食レストランを教えてもらったり、ホームパーティーに招待してもらったり、とてもよくしてもらいました。
ミセスワタナベ
そんな環境の中、ウォールストリートには変わった日本人達も在籍していました。
俗にいうミセスワタナベです。年代的には30代~40代の男女が多かったと記憶しています。
2007年当時はサブプライムショックのほんの直前。円安が進み、FXのスワップポイントだけを頼みにタイに住んでいる日本人がいました。
後に同胞に殺害されてしまった、「外こもりのすすめ」という有名な著書を書いた方がタイに居たのもこの時期です。(その著者はウォールストリートの生徒ではありませんでしたが、僕の親友の日本人女性と、同じラチャダーのマンションの隣の部屋に住んでいたので、僕も彼のことは知っていました)
なお、上記のミセスワタナベたちですが、2007年8月のパリバショックによる急激な円高で致命的なダメージを受け、その半数は資金ショートして語学学校の契約の途中で日本に帰国していきました。僕はビザが切れる翌2008年3月まで在籍していたので、当時のことはよく覚えています。
遊学生
これは当時の僕と同じパターンの方々で、留学とは名ばかりで、実際はタイ生活を楽しみに来た僕のことです。
年齢も当時の僕と同じく20代前半の人が多く、みんな南国生活をエンジョイしていました。
学校主催でビーチへの旅行のアクティビティもありましたしね。
ちなみに上記のシーナカリンウィロート大学の女子大生と帰国後に結婚した方も、最初は遊学生の立場でした。
最初は遊びにタイに来たけど、タイにもっと長くいたくなって現地採用の仕事に就いた人もいます。その方たちの一部は10年以上たった今でもタイで働いていたりもします。
僕のアンチと思われる日本人
一方で、同じ遊学生でも、かなりたちの悪い人もいました。
年齢は僕よりはるかに上の当時30代で、日本人、タイ人両方の輪に入れず、学校に来てもポツンと座っているだけの人です。
僕も含めて気を使って挨拶したり話しかけたりした人もいるのですが、どうも馴染んでくれない人が何人かいました。学校の外ですれ違って、会釈をしても目をそらして通り過ぎてしまいました。
あくまで僕の推測ですが、現在の僕のブログのアンチは、まさしくこの人たちの誰かなのではないかと思っています。
僕もまあまあ快適なサービスアパートに住んでいましたし、ソーシャルエリアで女子大生に囲まれて楽しそうに過ごしていた僕を逆恨みしたとか、理由としてはそんなところなのではないかと推察します。
今でも存在するウォールストリート
以上が僕が1年間の遊学生活を過ごしたウォールストリートです。
僕が通っていたのは既に10年も目のことですが、ウォールストリート自体は現在でも存在します。
20代くらいの日本人の方で、現在ウォールストリートに通っている方もまだいると思います。
この学校も昔ほどの勢いはもうないですが、今でもソーシャルエリアで友達を作ったり、生徒同士で食事に行ったりと楽しく過ごすことは出来ると思います。
正直言って年配の方には不向きの学校ですが、まだ20代の方で、タイで友達を作って楽しく英語を勉強したいという方は、ウォールストリートは合っているのではないかと思います。